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妻の中で私が「口ひげのない人」以上の存在であれば嬉しい

妻が映画を見に行きたいと言い出した。

映画のタイトルは話題の「ボヘミアン・ラプソディ」。

友人からすごく良いよと薦められたらしい。

公開初日の夜に出張先で鑑賞した私が少しだけその感動を伝えると、ますますその気になっていた。

 

私は子供たちと留守番し、妻は一人映画館に行った。

レイトショーのため、帰ってきたのは夜中の12時前。

下の子はもうぐっすりと眠っていた。

 

「どうだった?」とたずねると「うん、音楽がね、すごくよかった。」

「でも途中でトイレに行ったり、口ひげの人がいっぱい出てくるから、誰が誰だかわからなくなった。」

たしかに映画の後半、登場人物の口ひげ率は高かった気がする。

しかし主人公であるフレディ・マーキュリーとそのほかの人物との見分けがつかないのであれば、ストーリーが頭に入ってこなかっただろう。

 

いくら日本人ではないとはいえ、口ひげというオプションがついただけで皆同じに見えるとは。彼女の中で、口ひげの人は同じ「口ひげの人」というカテゴリーの中にぶっ込まれてしまうのだ。

 

もし私が口ひげをつけて変装すれば、その他がどれだけ無防備な状態であったとしても絶対に気付くことはないだろう。

しかし、サプライズで口ひげをつけて登場したりすれば、本当に別人と見分けがつかずに過度に脅かしてしまう可能性もあるので、その辺は気をつけたい。

 

人間から見れば同じ動物は全て同じ顔に見える。

よく観察すれば違いは認識できるのだが、人間同士のようにすんなりとはいかない。

同種でないと個体差を瞬時に識別するのは難しい。

 

そう考えると、妻が私のことをどこまで私として認識しているのか、少し疑問になった。普通に生活はしているものの、気がついたら別人だったみたいな展開も、彼女の世界では十分にありえるのだ。

彼女にとって私はどう写っているのだろう。

まさか、口ひげがある人と口ひげがない人の2つのカテゴリーしか存在しないということはあるまい。

 

「口ひげがなくて、普段一緒にいる人」よりもう少し詳しい認識を持っていてくれれば嬉しい。

 

 

ボヘミアン・ラプソディ(オリジナル・サウンドトラック)

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