今目の前の人がどうすれば喜んでくれるのか。
試行錯誤を続ける最中、ひとたびその行動が度を超すと噂が周りに広がり、なんであいつだけ、不公平だ。俺も俺もと言う人が出てくる。
目の前の人に集中するあまり、二次的な効果を認識できていなかったのもあるが、本質的に求めているものに気づかず、単なる自己満足でしかなかったのかもしれない。
それが結果としてこの一つの状況を引き起こしたのかもしれない。
また、喜んでくれるのはいいのだが、要求?が徐々にエスカレートしていく場合もあった。慣れとは怖いものだ。
自分の行動が果たしてその人の為になったのか、疑問は残る。
その人及び周辺の人が、こちらの行動をどのように受け取るかは、その人達次第であり、自由だ。
僕にとって重要なのはこちらが何を意図したものであるかだけなのだ。
今の行動の主な目的は、周りにいる人の求めているものを探ること、そしてそれをどのように提供できるかの試行であり、これによって実際の行動とその反応を鑑みたバランス感覚の習得を意図したものである。
だが、相手に向ける意識は当然ながら本物で、喜んでくれれば単純に嬉しいし、純粋な気持ちであると胸を張って言える。ただ、それをどう受け止めるかはその人達の思考や置かれた環境によるものなので、どう捉えられるかに対し一喜一憂する必要はないし、彼らの自由意思を尊重するべきだろう。
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