世界一自分に優しい授業

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先輩「俺はいつ辞めてもクビになってもいいんだからな!、責任を取るのはおまえらなんだからな!」

今一緒に出張に来ている職場のちょっと厄介な先輩。どうすれば先輩が喜んでくれるのか考えてみた。

 

とりあえず、彼の仕事を軽減することは試みたがあまり効果が無かったので、次なる手を打つことにした。

出張期間中のお昼の弁当代を全ておごってみることにした。

 

目下の自分がおごるのは気が引けたのだが、僕の申し出をすんなりと受け、入れ少し嬉しそうな顔で「おう」と言うのだった。

 

そう、先輩はどれだけ周りが何かしてあげても決してお礼を「ありがとう」を言わない人なのだ。そのことは当然知っていたので、特に見返りを求めていたわけでない。ただ、目下の人間にだけならまだ分かるのだが(いや、分からないが)、聞いた話によると周りの人間には等しくそうなのだそうだ。

感謝の気持ちを表さない、感謝の気持ちが無いということはつまり、「ありがとう」の心、有り難いという言葉の意味の反対、当たり前。自分はしてもらって当たり前だと思っているのだ。

 

先日も、「自分にスキルが無いのは会社が自分たちを甘やかしてきたから」だと意味不明な発言をしていた。まったく意味不明なのである。常に自分は被害者であり、責任は自分以外の誰かや会社、さらには社会にあるというのだ。
これは、【主体的に生きる】という僕の信条からは遠くかけ離れたものだった。

「俺はいつ辞めてもクビになってもいいんだからな!、仕事がどうなろうが関係ない。責任を取るのはおまえらなんだからな!」と息巻いている本人がそうなることを一番恐れていることに自分で気づいていない。

 

 

仏教の教えでは、「ありがとう」と思えないのは『人生の目的』を知らないからなのだそうだ。

自分は何のために生まれてきたのか、何をするために生まれたのか。

 

しかしながら、自分の『人生の目的』を明確に分かっている人は、いったいどのくらいいるのだろうか。それほど多くは無いように思う。皆、迷い探しながら生きていると思う。だが、何事も誰かのせいで、しかたなくこうしているのだ、こうなっているのだという強い思考は、自分の人生を自分で選択しないということであり、これでは『人生の目的』など到底見つかるはずもなく、まるで真っ暗闇の中、得体の知れない何かに対し、ただじっと恐怖と不安に震えているようなものなのだ。

だからどこまでいっても満足できない。感謝など出来るはずもないのだ。

 

自分が皆からしてもらって当たり前の存在だと思い込んでいれば、それが現実のものとなり、そういう人生となるのかもしれない。
だが、誰かから与えられ続けるだけの人生よりも、誰かに喜びを与え、分かち合う人生のほうが僕には心地いいし、望むところなのだ。

 

読んでいただいてありがとうございます。